不登校だった妹の懐古話

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こんにちは、たまえです

これは十年以上前の懐古談です

わたしが高校三年、妹が一年の頃です。妹は勉強があまり得意ではなかったので偏差値を重視しない工業系の高校を自ら選んで受験しました

わたしは違う高校に通ってので妹が工業高校で具体的に何を学んでいるのかは分かりませんでしたが、簿記などの資格を積極的に取れるよう推進している高校だったようで、妹も簿記検定を受けていた記憶が薄っすらとあります

一年後わたしが専門学校に進学したころ、妹は高校を休みがちになっていて、気付けば一週間続けて休むことも当たり前になっていました

わたしが覚えているのは自室の布団に包まり、呼んでも出てこない妹の丸まった背中です

二年生に上がったばかりだったので、まだクラスに馴染めないのかな?と家族は心配していました。妹は自分のことをベラベラ喋れるような自己表現が得意な性格だったこともあり、わたし含め両親にも不登校の理由は教えてくれませんでした

今考えれば話したくない事情があったのかもしれませんが、学校を休むだけでそれ以外は至って普通に、元気に過ごしていましたので(少なくとも当時はそう見えた)別段心配しすぎることなくただ時間だけが過ぎていきました

半年くらい経つと、不登校も板について完全に高校へは通わなくなりました

担任の先生が家まで来て、「少し話さない?」と布団に包まる妹に声を掛けていたのを覚えています。さすがに理由も話さず沈黙を続ける妹にイライラしていたわたしは、心ない言葉を投げつけたりもしました

不登校の初期、共働きで朝から不在の両親に代わって毎朝妹を起こす役回りだったフラストレーションが溜まっていたのでしょう。それか小学校時代、同級生に虐められながらも根性で通い続けていた自分との対比からか、一日中家に引きこもってばかりの妹を軽蔑するようになりました

「わたしだって高校が楽しいわけじゃなかった。でも頑張って通ったんだよ。中卒なんて肩書き恥ずかしい、後で苦労するよ」

今ならこれが何の根拠もない、説得にすらならない台詞だと分かりますが、世間体を気にしがちなわたしが捻り出した罵倒にリアクションが返ってくることはありませんでした

説明もなくただ行きたくないからで済ませられるのか?当時のわたしの価値観では妹の行動を理解することは出来なくて、嫌悪感すらありました

両親はそこまで深刻そうにしていたかと聞かれれば、あまり記憶にないのが本音です

不登校ならせめて家で勉強したらどうか、中卒になるけど大丈夫かと父が心配し、母とは胸ぐらを掴みあうほどの喧嘩をしていたような…?(壮絶な喧嘩シーンだったはずなのになぜか記憶が曖昧)そういえば祖母に仲裁するよう促され渋々止めに入ったのを今思い出しましたが、火蓋を切ったのがどちらだったかなど詳細は忘れてしまいました。それなりに両親も心休まらない日々を送っていたと思います

そんな一家の問題児だった妹ですが、本来高校で過ごす時間をどうやって浪費していたのか。食事排泄風呂以外は自室に籠り何をしていたのか、、、

長くなりますので、続きはまた次回…

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ここまで読んでくださりありがとうございます

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